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(神に帰る ・ム。シ・ネ1、ォ、鯣ノ、・)
神に帰る
その日以来私はもう消極的な傍観者ではなくなりました。母の癌治療なら何でもどんなことでもしなければならないと決心し、毎朝のシャワー室は私の祈りの場となりました。そのうち私は母が癒されるようにと真剣に祈り始めたのです。しかし私の雑然とした祈りは2秒も続かず、はっきりと誰に祈ったら良いのかも分からず、何となく“母の神”に祈ったように思えます。
この時期、妻デボラは家族全員で教会に参加するように導かれました。私たちには二人の子供(男の子)がいました。ですから道徳と宗教を土台とした家族を築き上げるのはとても大切です。デボラは“霊的”賜物があり、私はそれを妨げるようなことは決してしませんでした。しかし何年間も忍耐を持って待ったデボラはこの時が私の心に語りかける最善の時であると感じました。家族を支えるために必要な概念とその妻の努力に私は感謝しています(日々)。彼女は私が目立たないようにと、神を求めることに基盤を置いたサドルバック教会(マンモス教会)を見つけたのです。
教会に参加している期間、私は驚くべきことを発見しました。心に曇りなく、経済的心配もなく、“強制的にしなければならない”という思いは一切なく、私は母のために集中して祈ることができたのです。そしてその場は確かに特別な場所でした。すばらしい気分から仕事の帰りに時々口から祈りが飛び出すのです。教会でのメッセージは私にとってまだ“神話的”であったにも関わらず、感情とフォーカスはまた別でした。
その後、エール大学の弁護士とシカゴ・トリビューンのジャーナリストであるリー・ストロボ師による、事実に基づいて信じる聖書の神についての説明を聞きました。自らを無神論主義者であると認めていたストロボ師は私の歩む足元に灯りを燈してくれたのです。物事を徹底的に調査し分析するジャーナリストであったリー・ストロボ師は、聖書のイエスについて証拠を集め論理的に反証しようと試みたのです。しかし、何年にもわたる彼の調査と努力は却って彼をキリストに導くことになり、ベストセラーとなった本“ケース・オブ・クライスト”が出版される結果となったのです。
霊的な信仰が真実の証拠でサポートされた現実に私は愕然としました。この人は“イエスに狂っている”のでもなく宇宙人を信じている人でもない -– 彼の信じる無神論“信仰”を具体的に説明する知的成功者であった人です。この日リー・ストロボ師は私の思考の表面だけを驚愕させただけでなく、イエスを信じていなかった20年にわたる人生にも深く語りかけたのです。
信仰のリーダーシップを持っていたデボラは、サドルバック教会に懐疑主義者のための、証拠を基盤としたクラスがあることを発見しました。数名の専門家が教える4ヶ月半にわたる早いペースのクラスでした。妻デボラは、リー・ストロボ師の霊的調査法を利用して私の思考にチャレンジし、私は彼女のチャレンジを受け入れました。
クラスを完了した後、私はそれらの証拠に全く驚きを覚えると共に、その結果もっと証拠と情報をを得たい願望に駆られました。歴史、古代文献、考古学、地質学、古生物学、宇宙論、比較宗教、預言とその統計を“知識と訓練”にして聖書を学んだのです。半年に及ぶ深い学びからキリスト教に張り巡らした知識の壁は私からもろく崩れ落ちるのを感じました。
その後間もなく祈りながら人生を全く変える信仰に転換した私は2000年の母の日、支えとなってくれる妻と親愛なる母の前で自分の命を完全にキリストに明け渡したのです。その日から妻は私の霊的パートナーとなり、母は霊的な助言者となり、放蕩息子のために20年間祈り続けた母の祈りが答えられた日となったのです。母の癌と痛みの試練はその日成就された神の御心でした。
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